白日からは逃れられない/1日2回、ほぼ毎日King gnu「白日」を聴いてしまう理由について

今週のお題「わたしの好きな歌」

 

King gnuの「白日」が、どうしても耳から離れない。口から離れない。1日あたり複数回、どうしても聴いてしまう。明らかに聴く側にも歌い側にも番人ウケするタイプじゃないのにカラオケ入った瞬間に入れてしまうし、Spotifyで聴きすぎてAIがとうとう気を遣ったのか、何を聴いても絶対その次に白日が流れてしまう。本当にすまん。

 


King Gnu - 白日

何故こんなにも人は(僕は)「白日」を聴いてしまうのか。結局理由は一つだけだと思っている。

 

誰しもがこんな後悔をしたことがあるからだ。しかもそれに対して「わかってもらえている」感があるからだ。だからそれに対して自覚的になれた瞬間に、強く人は感動できているのだと思っている。

真っ新に生まれ変わって人生一から始めようが

へばりついて離れない地続きの今を歩いているんだ 

「死にたい」と思う。「巻き戻したい」と思う。それが、自分自身だけのことじゃなくて、他の人を不利益にする行いに対してだったら。過去の一点の過ちが、ただ一つなくなれば、目の前の大切な人と自分と、幸せにできたという確信があったとしたら。

だけどタラレバは誰にも通用しない。身内とはケンカだらけ。家賃もインフラもろくろく払えていない。仕事は8割が昨日から持ち越し。なのに二日酔いがやばくて今日も頭がぼーっとして集中できない。きっと誰だってそうだ。取り返しのつかないことを大なり小なり山のようにやって、結局成り行きで今ここにいる。身に覚えのない打席に幾度となく立たされる。それが自分の今の全てだ。過不足なく100パーセントが常に自分の全てだ。でもやっぱり後ろ髪を引かれ続ける。それも一本二本じゃなくて、幾千本の髪の毛だ。

 

自分は特別でありたい。特別になれる。

でも、一つの間違いで、どうしようもなくなってしまった。こんな不幸は他の誰にもない。

きっとみんな、大なり小なりそういう風に思っている。わかる。わかるさ。それをひっくるめて、生きていかなきゃいけないんだ。そんなことを3分強言い聞かせてくれた上で、最後のサビの前にこういう説教のフレーズが待っている。

朝目覚めたらどっかの誰かになってやしないかなあ

なれないしないよな 聞き流してくれ

 最初聴いたとき、びっくりした。やっぱり隣の誰かも、天才常田も、同じことを考えては、諦め、覚悟をキメてきたのか。いや、自分の苦しみや考えが自分固有のものだと思い込んでいることの方が、本来は死ぬほど愚かしいことだ。

優しかったはずの声で、力強く、やっぱりそんなことはない、させないって言ってくれる。生き返るチャンスなんて本当の本当にないのだ。自分一人じゃなくて、他の人間全員にとって、ないのだ。それでもこのクソつまんねえ世界を、必死こいて生きていかないといけない。泥水啜って靴底舐めてでも。恐ろしいことに、みんなそうなのだ。

 

日常のつまんない悩みも、「死にたい」と口をついて出ることについても、「そんなこと誰も思ってないよ頑張ろうよ!」じゃなくて「わかるよなつれえよなでもみんなそうだぞ」という一番逃げ場のないアプローチで決断を迫ってくる。だから、やる気が湧く。やっと前を向ける。聴いたことのないぐらいのブッ千切れた美しくて強いメロディだから、なおのこと「ああ、この曲を自分で選んで、聴いて、今戦ってるんだ」という感じがする。

 

King gnuという、この曲が出るまでほとんどの人が聴いたことのないバンドの曲だったからこそ、「自分が選んで」「それが自分の課題にぶち当たって」「そして鼓舞されている」という感覚に襲われる。しかもその「自分の課題」は、常に沸き起こるから実際は無期限有効だ。

なんかそういう意味で、僕にとっては「白日」というより「白夜」みたいな曲だ。一生終わりがやってこない。逃げられない。戦い続けろ。びっくりするぐらい、そういう問いかけは万人にとって共通なのだろう。いつだって変わらないのだろう。だからこそこの「白日」は、ずっと僕の心にへばりついて離れない。